傷つくとき、傷つけるとき

投稿者: | 2006/04/23

大学に入った頃、体育会系の伝統に従い、一年生は「つぶれるまで飲む」が原則であった。しかし、入学して数ヶ月、私だけはつぶれることはなかった。決して、酒に強いわけでもないのに。
それから数ヶ月後、一年生の秋、テニス部内で大学祭の打ち上げを行ったとき、初めて酔った。友人の自転車に乗せられながら、「酒に酔うこともあるんだ。絶対酔わない人だと思っていたのに。」と聞かれたのを覚えている。
確かに、それまでは酔わなかったのに...酔うようになったのは私の気持ちが変わったからだと確信できた。家を出て数ヶ月、よき先輩・友人に囲まれ、初めて「この人達を信じて、甘えても良いのだろうか」と感じたから。
・・・その数年前
中学2年のとき、私の中学校で(公になったのは)東北初といわれる校内暴力事件が発生した。やはり初モノということで、連日新聞紙面を飾り、TVでも騒がれた。当時、生徒会長ではあったが何も出来ず、ただ周りに振り回されるだけ。自分が関与したわけでもないし、何かを求められたわけでもない。
ただ、どうしようもないモヤモヤした気持ちを晴らすには人に話したかった。でも、この問題については聞かれるのも嫌、誰かがしゃべっているのも嫌だった。「心配しているのに」と言われるのも迷惑。ただ、自分の話を聞いて欲しい、でも、周りは黙っていて欲しい、自分以外の人間が口を開かないで欲しいと。
自分がしゃべった話題についてくるだけでも不愉快で、「殴ってでも黙らせたい」と思うこともあった。そんな自分が身勝手だとは感じたが、自分の心の中に変化が起きているとは感じられなかった。
いつの間にか騒ぎも収まり、高校に行って「xx中学だよね」といわれても普通に会話できていたし。
事件発生から5年。大学で初めて酔った時、あの事件で自分が大きな傷を負っていたこと、それによって誰にも気を許せずにいたことに気づいた。
あの事件の後、私が攻められたこともないし、嫌がらせを受けたこともない。ただ、その話題を聞くのが耐え難いってだけだったのに。
単に話をするだけ、それだけのことかもしれないが、それでも十分に傷ついていたのだろう。
あの時、自分が傷つかないようにするにはどうすれば良かったと考えたが、どうにも答えが出かった。私が傷つかない方法は、「周りの人間が、誰一人として口を利かないこと」だったから。
そして数十年、今でもどうすれば良かったのか分からずにいる。
言葉がある限り、傷つけるし、傷つけられる。悪意がなくても「言葉を発しただけ」で人は傷つくこともある。
結局、自分は人と会話する道を選んだ。それは、誰かを傷つけ続ける道であり、その罪を背負っていることを意識し続けなければならないと思っている。

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