2007年2月アーカイブ

眠くて、眠くて、昼休みは爆睡。
寝ている最中に鼻血が出てきたようだが、それでも爆睡。

無意識に鼻をすすっていたが、吸う量だけが多くなりすぎて、呼吸困難。アップアップになって慌てて目覚めたが、そんな状況は誰も気づかない。

「いや~びっくり」と奇跡の生還を果たした気分でいるのに、感動の無い人たち...
海猿のような感動の救出劇のつもりでいたのに、「そこで、鼻血がだらっと出てたら、笑い取れてましたよ」って??

そういいながら、夜更かししているもんだから、また明日も窒息するかもしれない。

藤沢駅でのこと。
私の数m先で杖をついていたお爺さんが倒れようとしていた。
すぐに荷物を捨てて、飛び込めば抱きかかえられたはず。でも、何もせず、「大丈夫ですか!」って、声をかけている女性の声を聞きながら、その脇を通り過ぎただけ。

その重さに耐えられなくても助けようとする人がいる。力が足りなければ、限られた人しか助けられない。でも、助けようという思いを持っていない人間は誰も助けられない。
今の自分は後者の人間。

藤崎(仙台)で行われていた「宮城の純米酒「初蔵出し」」に行って来た。
限定販売のお酒も多いと聞いていたので、「あらばしり」とか「おりがらみxx」なんてのを想像していたが、そういうのは少なく無難にまとまった感じ。会場もあまり盛り上がっておらず、試飲だけで帰宅。

折角、蔵元さんが来ているのに、アピールが少ない。「これ限定販売ですよ」なんて売り文句より、蔵元さん自身の話の方がずっと販促効果はあるはず。
どうも真面目な蔵元さんが多すぎ。折角いいものを醸しているんだから、もっと消費者を圧倒するくらいの勢いが欲しいところ。

あんまりおとなしすぎるので、「こっちに宣伝させてくれ!」って言うくらい歯がゆい。宮城県酒造組合の人、見ていたら来年の企画を立てさせてくれないかな~

いつもは見ないのだけれど、mixiに何か機能追加されたようだ。「・・を検索対象にしない」とか。

当初、聞いていた(mixiの)方向性とは少しずつずれてきたようで、情報発信はいくらでも流させる、他人からは隠れようとする、知らない人とは交わらない、とコミュニケーションの裏に潜む影が強くなっているような気がするのは私だけ?

コミュニティを見ても、同じようなスレが乱立したり、同じテーマで話してても他人との交わりが無い。昔のパソコン通信と比べても異様な感じを覚える。
まるで、魚の大群が滝登りをしているようで、同じ方向を向いているけど誰も横を向かない。自分の思いだけを書きなぐっているよう。

私自身、mixiのおかげで会話が弾んだり、知り合いが増えたのは事実。
顔を合わせていえないことも、ここでならうまく伝えられることもある。

複数のIDを使い分けることも、自分の正体を隠すことも悪いこととはいえないし、理解もできる。
そういう表面的なことではなく、根本的な方向性に違和感が...
ネットを使っていて嫌になる部分、影の部分、人間のいやらしいところがどんどんmixiの新機能に集約されていっているような気がするんだけど...

でも、これって「mixiが変」なんじゃなくて、人間の欲求がそういう方向に向かっているということなんですよね。

今週はずっと自宅からの通勤。これだけ家にいるのは正月以来。
同じところに通勤するのもの今年初?
なんだかんだいいながらも精神的にも体力的にも楽。

1週間、お付き合いしていただき、感謝しています。飴も、コーヒーも、牛タンもおいしくて、幸せな時間でした。
明日は皆さんのためにポットのフィルターを買ってきます。


「じゃあ、先週と来週はどうなんだ」っていう突っ込みは禁止!

飲み会の帰り、降りるバス停も通過するほど眠かったのに、布団にも入らず「ハケンの品格」。
今回はこれまでの中でも秀逸。テーマは「ヤマアラシのジレンマ」かと思っていたが、もっと深そう。

面白いのに、悲しい。悲しいのは何故?
人の輪に入れない自分とダブルものがあるから?

他人と交わることで傷つくこと、傷つけることが怖い。傷つくリスクを負うくらいなら、近寄らないでいた方が良いとも思う。近づけば近づくほど絶対に交われないという溝も深まるばかりだし。
そうして一人になることを選んでいる反面、大切な人達が近くにいないと不安にもなる。
人に話しかけたい自分と、怖くて人の輪の中に入ってゆけない自分。その間を行ったり来たり...
「ハケンの品格」にも通じるものを感じていたが、これからの展開はどうなるのだろう。


今後の予想...ハッピーエンドではあって欲しくない。「リスクを負ってでも近づきたい人もいる」ってのは、どうかな?自分の願望?

いつもはmixiと連動させた記事にしているが、今日はブログ限定のネタ。
くうさんのくぅの着物日記からツンデレ度チェ―ック♪。
おおもとはこっちにある。

私の結果は、以下のとおり。

kseinoさんのツンデレ度は、 67 度です。

ランク:B (A~E)
偏差値:46.0
順位:108,917位 (166,318人中)

総評
結構ツンデレな人です。あんまり失敗ばかりしないでね(´ω`*)

kseinoさんのラッキーアイテム:ピンクの小物
熊の置物

長男・次男と公園に行ったときのこと。

「お父さん、仕事一杯で、もう遊べないよ。」「じゃ、お父さん、帰っていいよ」ということで、公園から引き上げることに。と、いっても子供だけを残すのは私にとって初めての体験。

兄弟だけの公園デビュー。二人はなんともないが、こっちは冷や冷や。
「怪我するなよ」、「車に気をつけろよ」、「手加減しろよ」って、散々言ってから公園を後にする。
家に戻り、「二人だけ置いてきたよ」と言いながらも心配でたまらない。仕事が手につくわけもなく、「折角の休みなんだから、無理してでも遊んでやれば・・・」と後悔ばかり。

程なく、兄弟二人の他に友達を連れて家に帰ってきた。
これまで、ずっと一緒にすごしてきたが、そろそろ子供たちだけで遊ぶようになるのだろう。

遊び疲れて、「お父さん、マッサージして」という息子に添い寝しながら、私の方が子供から独立しなければと思う。

近所のジャスコで大きな荷物と、まだ歩けない下の子を抱っこしていたときのこと。

エスカレータに乗っていると、見知らおばさんが近づいてきた。

彼女「あら、靴下脱げそうですよ。」
  (と、言いながら子供の靴下を直す)
私 「どうもありがとうございます。」

彼女「かわいいわね~」
私 「ありがとうございます。」

彼女「赤ちゃんはいいわね~。まっすぐな瞳をしていて。」
私 「そうですね。」
彼女「それに引き換え....」

(チラッと、近くに立っている小学生を見て瞳を曇らせる)

私 「.....」
彼女「.....」

・・・・
・・・・

おいっ!!
そっちもうちの子だって!!

今年はチョコ無しかと思っていたら、「先生、一日遅れだけど、チョコどうぞ」と、暖かい手。
「先生の嫌いなホワイトチョコもあるけど、いいですか?」って、よく覚えているもんだ。

ところが...「昨日、パチンコで一杯もらっちゃったんで」って、オイ!

昨日のチョコは一言少ない。今日のチョコは一言多い。

「バレンタインデーはお菓子メーカーが仕組んだこと」とか、「義理チョコは不要」とか、いろいろ議論があるが...


まずは1個でも貰わないと、負け犬の遠吠えのようで...ちょっと虚しい。


ホテルのフロントにおいてあるチョコレート。せめて、一声かけてくれれば幸せになれたのに。
「宜しかったら、夕刊どうぞ!」だけ??

子供を救急病院に連れて行ったときのこと。
込み合っている待合室で、長男・次男が席をつめて小さい子を座らせてあげた。

それを見ていた、その子の母親が「優しい!」と一言。
息子たちに言ったのか、誰に言ったのかも分からないくらい、客観的で断言口調の褒め言葉。

「ありがとう」とか、「優しいね~」といわれれば、「いえいえ、それほどでも」となるが、こちらが否定する間も与えない。こういう褒め言葉もあるのかと感心。
言葉は少なくても、周りを幸せに出来るお母さんなんでしょうね。

カッターの刃を交換しようとしたところ、うかつにも刃を抑える金具をなくしてしまった。
思い起こせばこのカッターは小学校のときに購入したもので、かれこれ30年くらい使っている。ということは、新たに買い換えるカッターが私の人生で最後のカッターになるかもしれない。

もし、そのカッターを握り締めたまま書斎でなくなることがあれば、「これが生前、故人が愛用していた100円カッターです」と紹介されてしまう。
う~ん、それはかっこ悪いので、ボディーがカーブしていて、滑り止め付の少し高めのブランド物を購入。やはり、大人なのでこれくらいもっていないと...

え、どこのブランドかって....
日本が世界に誇るKOKUYOに決まっているじゃないですか。(オフィスベンダーで¥360くらい)

今日は今年初めてのオフ。
1:00に仕事が終わり、のんびりと2:00から飲み始める。

気持ちは晴れ晴れのはずが、飲み始める前に土鍋の蓋を割ってしまい、ちょっとブルー。

何度かお会いしたことがある人から「私はネットの中では変なんです」という話を聞いた。
その時は気にもせず、また、ネット上でも「確かにこういう一面もあるな」と新たな一面を見たつもりでいた。でも「知らない人からは誤解を受けるかもしれない」と言っていたようなことは、ありえるかも。

今のCMSやSNSは情報交換が盛んな反面、それが誤った方向に走っていくのも速い。自分の表現力に問題があることもあれば、周りからいろいろ書かれて段々あらぬ方へいくこともある。

本当の自分、こうありたい自分、見られている自分、そして、見せようとしている自分。現実もそうだがネット上では全く一致していなかったりする。
ふざけて違う自分を演じるのではなく、周りから身動きの取れない人格を作られることも多くなっている。
そして、そのまま虚構の世界で生きている人も。

でも、どっちが本当の姿なんでしょうね。
私もどう付き合ってよいか分からず、どう話してよいか分からず、何度悩まされたことか。

藤沢の講義を終えた帰り道、川岸を歩きながら対岸に目をやると紅梅らしきものが。

これまでは執筆納期に追われてホテルへ直帰していたため気づかなかったが、他にも何か植えられているらしい。久々に時間もあるし、ゆっくりと寄り道。

早いもので梅がほころんでおり、ウグイスも梅の花をついばんでいる。
「そういえば横浜の梅もそろそろか」と昨年の大倉山の梅祭りを思い出す。

ふと、ポケットに手を入れると仙台から持ってきた「笛になる飴」。ちょうど私の好きなパイナップル味。事務所の中では音を出せなかったけれど、これだけ広いところなら...

ウグイスが舞い遊ぶ紅梅の下、飴を口の中に放り込み、「ふ~っつ」と吹いてみる。
「ホ~ホケキョ」
となれば格好よかったが、ポケットの中で溶けた飴からは「ジュボ、ジュボ」と唾が飛び散るだけ。


...嗚呼、春が台無し。 ○| ̄|_

チェリオ(ホワイトチョコ季節限定)を購入。ホワイトチョコは嫌いだが、チェリオなんで期待したが...

やはりホワイトチョコはアウト。
キットカット紅白で、やや評価を上げたホワイトチョコだが、これはいかがなものか。

チェリオと同様にパリパリの外側で、バニラの層の先に粘りのあるチョコという構成は同じ。単に商品名をパクるのではな、商品の特徴を踏襲している点はガリガリ君リッチと同様で評価できる。
しかし、甘すぎ。
チェリオでは中心部にあるチョコが甘さを補うとともに、粘りのある食感を楽しませてくれたが、ホワイトは甘すぎるし、内部のホワイトチョコとバニラの味が混じりあってしまい、微妙な味のコントラストを楽しむことが出来ない。
さらに、中心部のチョコは甘すぎるため、そこだけ食べると甘すぎで飽きてしまう。

ホワイトチョコ独特の臭みが弱い点は評価できるが、それ以外はいかがなものか。

私の周りでも「ホワイトチョコはうまい」という説があったので、期待したのだが残念。期待を裏切られて、とても悲しい。

子供とドライブしていたとき、「お父さんの好きな色って何?」と聞かれたが、とっさに答えられない。

「俺、xx色、お母さんはxx色」と会話は進んでゆくが、うまく答えられない。
「昔は緑が好きだったな~。車なら汚れが目立たない銀もいい。紫も悪くないかけど、あまり受けは良くないか。」などと言ってみたものの、そういう答えを期待していないことは良く分かっている。

「車だったら」とか、「携帯電話だったら」なんてことではなく、いつも気に入っている色があって、とっさにそれを答えればよいだけ。

そういう無心な対応が出来ない自分が、ひどく汚れた大人になったような気がしてならない。

「最近、幸せすぎて、鋭くなくなっている」との指摘が飛んできた。

幸せかどうかは別にして、痛いところ。
「幸せ」の意味も何をいわんとしているかは心当たりがある。(きっと、全てを見透かした上で、こういうやわい表現を使ったんだと思いますが)
「鋭くない」も、そのとおり。

自分の立場、周りの状況を考えると...という言い訳もしたいところだが、「自分は何をすべきか」という観点で考えてみると、返す言葉もない。
ただでさえ体調が悪いし、そこにいるだけで胃が痛くなっているというのに、この指摘はショックがでかすぎ。

全て吹っ切れたわけではないけれど、おかげで忘れていたものも(少し)取り戻せたような気がします。
指摘してくれたことに感謝。

(書こうかどうか迷いましたが、これからも忘れないように記録しておきます)

今日は一日遅れの豆まき。
「年の数以上食べられないの?」と息子は食べ足りないらしい。
昔、節分で食べる豆は「足りない」はずだった。

年の数だけ豆を食べるのが、とんでもない作業になったのはいつの頃から???

もうかれこれ何年だろうか。
コンビニの支払い、ず~~~と、違和感を感じていた。
なんか気持ちわるいというか、落ち着かないというか。

最近気づいたのだが、「お金をカウンタに置く」というのが変。まるで地べたに置くように、境界線も何もないカウンタに置く。受け取るほうもお金を拾い上げるのではなく、ベタッと置いたままズルズル引きずってカウンタの端までゆき、手のひらに落としている。

多くのコンビニがこの方法を採用しているので、きっと理由があるに違いない。
オペレーションの効率化か、トラブルの防止か、見当もつかないが...

しかし、どういう理由があろうと、こういう扱いってお金に対して失礼じゃないか?
道徳的に許しちゃいけないと思うんだけど。

現在受けている仕事の中でもっともモチベーションのあるところから、それほどでもないところへ移動中。
休みや他の仕事を挟まずに、この2つの仕事を行き来すると落差が大きくて、どちらにいくにしても気持ちの切り替えが難しい。

どちらもほぼ同じ時間だけ関わっているが、同じ時間をすごすにも濃度が違う。
前者は、このような掛け持ちをするために沢山の人が協力し、リスクも負担も背負ってもらっている。後者はお構いなし。それはこっちの都合なので、バックボーンがどうだろうと知ったことではないというのは理解できる。

しかし、前者の思いを裏切るように時間が過ぎることが腹立たしく思う。
どうして、こんな風にしか時間が過ぎないの....

いや、それを相手に求めてはいけない。そういう頑張っている世界があることを伝えるのも私の仕事かもしれない。
前向きに頑張っている人たちから貰った元気、今度は私が伝えたい。